伊藤 秀光 ブログ

去る5月26日にご縁あるソプラノ歌手の下垣真希先生の講演があり楽しみに出席しました。

2026/5/30

去る5月26日にご縁あるソプラノ歌手の
下垣真希先生の講演があり楽しみに出席しました。

プロフィールをご紹介します。
下垣真希さんは下呂市で育ち愛知県立芸術大学卒業後、国際ロータリー財団奨学生としてドイツのケルン国立音楽大学に留学し卒業。5年半にわたりドイツ国際ラジオ局でDJとして活躍されました。
帰国後は30年以上にわたり名城大学などでドイツ語の教鞭を執りました。
ドイツハノーバー万博閉幕式ではアジア代表として独唱。「愛・地球博」ではソロコンサートを開催。

中でも「長崎の鐘」の原作者である永井隆博士の平和への祈りを歌と語りで綴った「我が心の歌、長崎の鐘」は大きな反響を呼びました。
08年には、愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞されて見えます。

演題は「平和と命の尊さを語る〜ベルリンの壁崩壊の真実」です。パワーポイントで説明されました。

ベルリンの壁は終戦から16年もたってから作られました。それまでは首都の東ベルリンから東ドイツ国内にあった西べルリンへ自由に往来でき、多くの人の亡命が絶えませんでした。300万人もの人が自由を求めて西ベルリン経由で西側に逃げ出したと話されました。そのため東ドイツ国民の逃亡を阻むため、1961年に西ベルリンを囲む壁が作られました。
壁ができるまでの一時期はドイツの軍用犬シェパードが逃亡防止のために放し飼いにされたとも話されました。

驚いたのは壁に描かれた大きな絵。まだソ連の影響力が強かった東ドイツ建国30周年の時、ソ連のブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー書記長が抱きあい熱いキスを交わしているシーンです。

その後80年代半ばにゴルバチョフ大統領がソ連に誕生し流れが変わってきました。1989年、自由を求める若者のデモが激化。東ドイツの報道官のギュンター・シャポフスキーが記者会見で出国に関する内容をしっかり確認せずに「すべての東ドイツ国民は自由に国境を超えて良い、しかも直ちに」と発表したことから多くの東ベルリン市民が壁に殺到。暴動と勘違いした警備隊が検問所の門を開放したことから1989年11月9日、28年間続いた壁による分断は大いなる勘違いによって無血で開放されました。

そしてソプラノ歌手として日本の唱歌「ふるさと」を歌われました。長崎の原爆で被爆したおじさんが長崎からふるさとの島根に帰って糸で水を少しずつ飲み生きようとしたが一週間で亡くなった話には涙が出ました。そしてご縁の深い「長崎の鐘」を最後に絶唱されました。

平和、平和と言っているだけでは平和は訪れないこと、日本は平和すぎるからこれが当たり前のように思っているが世界各地で戦争、紛争が起きている現実を見なくてはとも話されました。
個人的にはドイツが好きで海外に行ってる国の中でドイツが1番多いかと思います。
特に環境先進国としてとても関心を持っていましたのでそうした所を視察しました。

講演の後に東ドイツ出身のメルケル首相が長く続いただけにその後のドイツにの状況が気になりお伺いをしました。
移民政策による経済状況も悪く、治安状況もとても悪くなっているようです。

下垣真希先生にはご健康に留意されまして
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

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