2026/7/16

新宿区にある産業遺産情報センターを視察しました。
今回初めて知ったのは、「明治日本の産業革命遺産」は一つの建物や場所ではなく、岩手県から鹿児島県まで8県11市に点在する23の構成資産が、一つのストーリーとして世界遺産に登録されているということです。
製鉄・製鋼、造船、石炭産業が互いに支え合い、日本が西洋の技術を取り入れながら、わずか半世紀余りで近代国家へと発展した歴史全体が評価されています。
また、世界遺産は単に古い建物を保存すればよいわけではありません。「真実性」と「完全性」が求められ、23の構成資産全体で価値を証明しているという考え方にも、大変興味を持ちました。現在も稼働している産業施設が含まれていることも、この世界遺産ならではの特徴です。

続いて、閉山当時の軍艦島(端島)の300分の1模型を見ながら、元島民の方から当時の暮らしについてお話を伺いました。
軍艦島は、面積わずか約6.3ヘクタール、東京ドーム約1.3個分ほどの小さな島です。しかし最盛期には5,000人を超える人々が暮らし、世界有数の人口密度だったといわれています。
限られた土地を活用するため、高層鉄筋コンクリート住宅が次々と建設され、日本初の高層鉄筋コンクリート集合住宅も誕生しました。建物同士が屋上や中間階でつながり、島全体が立体的な迷路のようになっていたそうです。子どもたちは、その通路や屋上を遊び場にしていたと聞き、当時の様子が目に浮かびました。
島には学校、病院、商店、お寺、神社、感染症患者の隔離施設まであり、生活に必要なものはほとんど島内で揃っていました。元島民の方が「軍艦島には、ないものはほとんどなかった」と話されていた言葉が印象的でした。
各家庭にお風呂はなく共同浴場を利用し、台風で船が止まれば水の使用制限もありました。それでも炭鉱を運営していた三菱による社宅や福利厚生が充実し、高い給与水準だったことから、多くの人が働くことを希望したそうです。
さらに驚いたのは、1958年頃、全国のテレビ普及率が約10%だった時代に、軍艦島ではほぼ全世帯にテレビが普及していたことです。当時としては最先端の暮らしだったことが分かります。
6畳ほどの住まい、共同浴場、狭い路地。それでも人と人との距離は近く、島全体が一つの家族のような温かなコミュニティだったというお話が、とても心に残りました。

今回の視察で最も印象に残ったのは、日本が海外の技術をそのまま受け入れるだけではなく、日本人ならではの知恵と工夫を重ね、わずか半世紀余りで世界有数の工業国へと成長したということです。
今、日本はAI革命という新たな転換期を迎えています。
明治の人々が変化を恐れず、新しい技術を取り入れ、日本独自の価値へと発展させたように、私たちもAIを積極的に活用し、新しい価値を生み出していくことが大切ではないでしょうか。
明治の産業革命が日本を飛躍させたように、AI革命をきっかけに、日本が再び世界をリードする国になってほしい。そして私自身も、行政の現場で新しい技術や発想を積極的に取り入れながら、地域課題の解決に挑戦していきたいと感じた視察でした。
The post AI革命の今だからこそ、明治の挑戦に学ぶ first appeared on 目黒区議会議員 山本ひろこ 公式ホームページ.
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