2026/6/14
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
皆さんは「第一国立銀行」という名前を聞いて、どのような組織を想像されるでしょうか。「国立」と付いている以上、国が経営する役所のような銀行だと思われがちですが、実はその正体は、日本で最初の「民間株式会社」です。
なぜ、民間なのに「国立」という名前を冠したのか。そこには、新一万円札の顔としてもお馴染みの渋沢栄一による、緻密な国家デザインとブランド戦略がありました。
1873年(明治6年)に設立された第一国立銀行。当時、日本には「銀行」という概念そのものが存在せず、人々は自分のお金をどこかへ預けるという行為に強い不安を感じていました。
そこで渋沢栄一は、「国立銀行条例」という法律に基づき、国が認可した公的な信頼がある組織であることを強調するために、あえて「国立」という名称を用いました。今で言うところの「公認」や「政府認定」というブランドを前面に押し出すことで、民間からの出資や預金を集めやすくしたのです。
渋沢がこの銀行を設立する際、株主を募集するために発表した「布告」には、現代のビジネスにも通じる非常に興味深い一節があります。
彼は銀行の役割を「川」に例えてこう説きました。
| 「そもそも銀行は大きな川のようなものだ。役に立つことは限りない。しかし、まだ銀行に集まってこないうちの金は、溝に溜まっている水や、ぽたぽた垂れているシズクと変わりない。」 |
一人ひとりの手元にある少額の資金は、滴(しずく)のように力がない。しかし、それを銀行という大きな器に集めれば、大河となって産業を潤し、道路を造り、国を豊かにする力になる。これこそが、渋沢が提唱した「合本主義(がっぽんしゅぎ)」の神髄です。
この第一国立銀行を皮切りに、日本全国には「第百五十三」まで多くの国立銀行が誕生しました。現在でも「七十七銀行(仙台)」や「百十四銀行(高松)」など、名前に数字が残っている銀行が多いのは、この国立銀行時代の番号を大切に引き継いでいるからです。
これらはすべて、渋沢の思想に共鳴した地域のリーダーたちが、民間の力で地域経済を支えようと立ち上がった証でもあります。
「国立」という看板を背負いながら、その実体は「民間の創意工夫」で動く株式会社だった第一国立銀行。行政がすべてを担うのではなく、民間の活力を最大限に引き出すことで国家を近代化させるという当時の志は、今の日本が直面する課題解決においても、大きなヒントになるのではないでしょうか。
歴史を紐解くと、私たちの身近にある銀行の風景も、少し違って見えてくるかもしれません。
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
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