2026/7/18
こんにちは。千葉県議会議員(八千代市)の横山ひであきです。
2026(令和8)年7月17日、日本の国旗を損壊する行為などを処罰する「国旗の損壊等の処罰に関する法律」が、参議院本会議で賛成多数により可決され、成立しました。
この法律は、自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党の4党が共同で提出したものです。
私は、国会での議論や成立までの経緯を見守ってきました。その上で、国旗を大切に思う一人として、また、基本的人権と国民生活を守る政治に携わる者として、長文ですが、私の考えを記しておきたいと思います。
法案を提出した4党は、主に四つの理由を挙げています。
第一に、国旗を大切に思う国民感情を守るため。
国旗は日本という国の象徴であり、多くの国民が敬意や愛着を持っています。その国旗を、人に強い不快感や嫌悪感を抱かせるような方法で公然と傷つける行為については、一定の規制が必要だという考え方です。
第二に、外国の国旗との不均衡を解消するため。
現在の刑法には、外国の国旗などを侮辱する目的で損壊した場合に処罰する規定があります。一方、日本の国旗には同じような規定がないことから、「外国の国旗は守られているのに、日本の国旗だけが守られていないのは不均衡ではないか」と説明されています。
ただし、外国の国旗などを損壊する行為を処罰する外国国章損壊罪は、一般に、外国との外交関係や国際的な友好関係を守るための規定と理解されています。
第三に、国旗損壊行為の広がりを未然に防ぐため。
SNSの普及によって損壊行為の映像が急速に広まり、模倣する人が現れる可能性があるとして、あらかじめ法律を設けることによる抑止効果を主張しています。
第四に、国旗を大切にする気持ちや、国民としての一体感を育てるため。
国会審議では、法律の成立をきっかけに、国旗を大切にする気持ちや、自国への帰属意識、愛国心が育まれることを期待する趣旨の発言もありました。
私は、こうした考え方そのものを全て否定するものではありません。
私自身、国旗に愛着と敬意を抱く一人です。
スポーツの国際大会などで日の丸が掲げられると、日本人として誇らしい気持ちになります。
選手や応援する人たちの心が一つになり、日本を代表して努力し活躍する姿に大きな感動を抱きます。
国旗に愛着や誇りを感じる人がいること、その思いを大切にしたいと考えることは、ごく自然なことであり、尊重されるべきだと思います。
しかし、今回問われているのは、国旗を大切に思うかどうかではありません。
国旗を大切に思う気持ちを、国家が刑罰によって守るべきなのか。
ここが、この法律を考える上で最も大切な論点だと思います。
現在でも、他人が所有する国旗を壊した場合には、「器物損壊罪」などによって処罰することができます。
一方、自分が所有する国旗を壊した場合には、通常、器物損壊罪は成立しません。
このような行為が、現行法では処罰が難しい典型例として挙げられてきました。
今回の法律は、国旗の所有者が誰であるかを問わず、人に著しく不快感や嫌悪感を抱かせるような方法で、公然と国旗を損壊、除去、汚損した場合を処罰の対象としています。
罰則は、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金とされています。
刑事罰を新しく設けるのであれば、現在の法律では対応できない具体的な被害や社会的な危険があり、新たな法律が必要であるという十分な根拠が求められます。
このような法律の必要性を裏付ける具体的な事実は、「立法事実」と呼ばれます。
私たち行政や地方議会が条例を制定する際にも、「立法事実」を何より重視します。立法事実とは、その法律や条例を制定する必要性を裏付ける社会的事実や客観的根拠のことです。
しかし、国旗損壊行為が国内で相次ぎ、社会に重大な被害を生じさせているという状況は、十分に示されたとは言えません。
さらに、国会審議で法案提出者が示した資料を見ても、私は、新たな刑事罰を設けるほどの立法事実が十分に示されたとは思えませんでした。
提示された事例の多くは、インターネット上で話題となった個別の出来事や、海外で発生した事例などが中心で、日本国内において国旗損壊行為が継続的に発生し、社会問題となっていることを示すものではありませんでした。
また、現在の法律では対応できず、新たな刑事罰がなければ重大な被害が生じていることを客観的に示すデータや統計も、十分には示されませんでした。
刑事罰は、国民の自由を制限する国家の最も強い権限の一つです。
そのため、「本当に今の法律では足りないのか」「社会にどれほどの危険が生じているのか」を、誰もが納得できる客観的な資料によって示す必要があります。
しかし、今回示された資料は、そうした立法事実を基礎づけるものとしては極めて限定的であり、新たな法律を創設するだけの十分な説得力があったとは、私は感じませんでした。
「将来、起こるかもしれない」という可能性だけで刑事罰を設けることは、刑法が本来求める慎重さとは異なるのではないかと思います。
将来、SNSなどを通じて広がる可能性を心配することは理解できます。
しかし、その可能性だけを根拠に、国民の自由を制限する刑事罰を設けることが適切なのかについては、より慎重な検討が必要だったと考えます。
法律では、
「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」
で、国旗を公然と損壊する行為などが処罰対象とされています。
しかし、何を「著しく不快」と感じるかは、一人ひとり異なります。
同じ行為を見ても、強い不快感を抱く人もいれば、政治的な抗議や芸術的な表現だと受け止める人もいるでしょう。
刑事罰を伴う法律は、どのような行為が犯罪となるのかを、国民があらかじめ理解できるよう、できる限り明確に定めなければなりません。
基準が曖昧なままでは、捜査を行う警察、起訴を判断する検察、最終的に判断する裁判所によって、対象となる範囲に違いが生じる可能性があります。
犯罪となる行為を法律で明確に定めておくことは、捜査や処罰の範囲が不明確に広がることを防ぎ、国民の自由を保障するための大切な原則です。
法案の提出者は、対象となる行為は極めて限定されており、表現の自由を不当に侵害するものではないと説明してきました。
当初検討されていた、国旗を損壊する映像を撮影し、後からSNSなどに投稿する行為そのものを処罰する規定は、表現の自由への配慮などから削除されました。
提出者は、アニメ、漫画、AIで作られた画像など、実物の国旗を損壊するものではない表現や、損壊映像を後から共有する行為は、基本的に処罰の対象にならないと説明しています。
ただし、映画や演劇、芸術活動、報道などで実物の国旗を使用する場合については、条文上、一律に対象外とされているわけではありません。
損壊行為をその場で配信した場合なども含め、「公然」と行われたと評価されるかどうかは、具体的な状況によって判断される可能性があります。
法律の条文には、行為の外形や周囲の状況など、客観的な事情を総合的に考慮することや、表現の自由など憲法が保障する権利を不当に侵害しないよう留意することが盛り込まれています。
こうした配慮には、一定の理解ができます。
また、施行後の運用状況やSNSの利用状況などを踏まえ、3年をめどに法律の在り方を検討する規定も設けられています。
しかし、実際に法律を運用する際の根拠となるのは、その時々の説明だけではなく、最終的には法律の条文です。
現在の提出者が「限定的に運用する」と説明しても、その解釈が将来にわたって変わらないとは限りません。
法律の文言に曖昧さが残れば、将来の社会情勢や政治状況、また捜査機関、裁判所の判断によって、適用される範囲が変化する可能性を完全に否定することはできません。
また、実際に逮捕や処罰に至らなくても、「警察から事情を聴かれるかもしれない」「犯罪と疑われるかもしれない」と考え、政治的な意見表明や芸術活動を控える人が出てくる可能性があります。
このように法律によって、人々が本来行うことのできる表現を控えるようになることを、一般に「萎縮効果」と呼びます。
さらに衆参の内閣委員会では、7人の参考人から意見を聴取し、表現の自由や罪刑法定主義との関係から、将来、違憲と判断される可能性を指摘する意見も示されました。
対象が限定されているという説明だけでなく、実際に国民の表現活動を萎縮させないかという点まで、慎重に検討する必要があったと思います。
今回の法律が守ろうとしているのは、「国旗を大切に思う国民感情」であると説明されています。
国旗が傷つけられる場面を見て、不快な気持ちや悲しい気持ちになる方がいることは十分理解できます。その感情は尊重されるべきです。
しかし、「不快に感じる人がいること」と、「国家が刑罰によって禁止してよいこと」は、必ずしもイコールではありません。
刑罰は、生命、身体、自由、財産をはじめ、社会の安全や具体的な権利、利益を守るために用いられるものです。
その中で、国旗を大切に思う国民感情そのものを、刑罰によって保護することが適切なのかについては、慎重な検討が必要です。
何を不快に感じるかは、時代や社会、人によって異なります。
国民の感情を守ることを理由に刑罰を広げることについては、どの感情や価値観を国家が守るのかが、時の多数派や政治権力の判断に左右されることがないよう、特に慎重でなければなりません。
私は、国旗への敬意は、本来、一人ひとりが自由な意思で抱くものだと考えます。
法律や刑罰によって生み出されるものではなく、家庭や学校、地域社会、スポーツ、文化、国際交流などを通じて、自然に育まれていくものではないでしょうか。
現に、多くの国民は、刑罰によって求められなくても、さまざまな場面で国旗に敬意と愛着を示しています。
例えば、スポーツの国際大会で日の丸を掲げて選手を応援する姿や、学校や地域の行事で国旗を丁寧に扱う姿、外国の国旗にも敬意をもって接する姿があります。
こうした国旗を尊重する心は、自由な社会の中で、国民一人ひとりの自発的な気持ちとして、すでに育まれているのではないでしょうか。
国旗を大切にする気持ちや愛国心を持つことは自由です。
同時に、国の政策に意見を述べたり、政治を批判したりすることも、自由な社会では保障されなければなりません。
愛国心とは、刑罰を背景に国家から求められるものではなく、国民一人ひとりが、自らの経験や思いの中で育んでいくものだと思います。
戦後の日本は、国家のために個人が犠牲になる社会ではなく、一人ひとりの基本的人権と尊厳を大切にする社会を目指して歩んできました。
また、国家は国民の暮らしと権利を守るために存在するのであって、国民が国家のために存在するのではありません。
だからこそ、国家の象徴に関わる新たな刑事罰を設ける際には、その必要性や基準の明確さ、国民の自由とのバランスについて、十分な時間をかけて議論する必要があります。
現在、多くの国民が直面しているのは、長引く物価高、賃金、子育て、教育、医療、介護、防災、地域経済など、日々の暮らしに直結する課題です。
国会の審議時間には限りがあるなかで、国民生活に深く関わる課題を優先し、具体的な支援策を一日も早く実現することが、今国民の多くから求められているのではないでしょうか。
今回の法案は6月16日に提出され、6月30日に衆議院を通過し、国会会期末の7月17日に成立しました。
国民の表現の自由や刑事罰の在り方に関わる重要な法律であることを考えれば、提出から成立までのタイミングや審議時間を見ても、疑問が残りますし、何より丁寧な議論が必要だったと感じています。
私は、国旗を大切に思う気持ちを否定するものではありません。
むしろ、私自身も国旗に敬意と愛着を持ち、その思いを多くの皆さまと共有しています。
だからこそ、国旗への敬意は刑罰によって求めたり強めたりするのではなく、一人ひとりが自由な社会の中で、自発的に育んでいくことが望ましいと考えます。
刑事罰を伴う法律は、本当に必要な場合に限り、その必要性、基準の明確さ、処罰の重さ、国民の自由への影響を十分に検討した上で制定されるべきです。
今回の法律については、
国旗損壊行為が多発しているという明確な立法事実が十分に示されていないこと。
立法の必要性を裏付ける客観的な資料や統計が乏しいこと。
処罰の基準に曖昧さが残ること。
表現の自由を萎縮させる可能性があること。
そして、国旗を大切に思う国民感情を刑罰によって保護することが適切なのかということ。
こうした多くの課題が残されています。
以上の理由から、
私は、今回の国旗損壊罪の創設は必要性に乏しく、刑事罰を設けることには慎重であるべきだったと考えています。
法律が成立した今後は、その運用によって国民の正当な表現活動や政治活動、芸術活動、報道活動が不当に制限されることがないよう、厳しく見守っていく必要があります。
そして、施行後の検証において問題が明らかになった場合には、法律の見直しも含め、国民の自由と権利を守る立場から、改めて丁寧に議論すべきだと考えています。
この記事をシェアする
ホーム>政党・政治家>横山 ひであき (ヨコヤマ ヒデアキ)>【見解】国旗損壊罪について、私の考え