2026/7/16
こんにちは、田中ヒロシです。
いやぁ、蒸し暑いですね。
昨晩は、けっこう寝苦しく感じました。これから2ヶ月少々、この状況が続くのかと思うと、憂鬱な気分になります。
とはいえ、暑苦しいながらも夕方以降は多少過ごしやすくはなります。仕事が終わったら活動体制に入りましょう!
夏だからね、誰かの言葉のように「夏らしく、夏じみたこと」しないといけませんね。
夏だ、花火があるさ!ということで「【2026年最新】中野区から90分で行ける?花火大会11選!ローカル穴場〜伝説の復活大会まで徹底解説」ご家族で、仕事仲間で、カップルやソロ活動中の方、コレ必見です!夏を楽しみましょう!
ヒロシにとっての夏は、もちろんビール。
でも、大東亜戦争。そして、玉音放送です。
昨晩、業務が早く終わったこともあり、向かってみました。靖国神社です。
「みたままつり」です。
靖国神社における「みたままつり」は古来の信仰にちなみ、靖国神社で始まったものです。境内に数多くの献灯(みあかし)を掲げて戦歿者のみたまをお慰めします。

本日、16日まで開催しております、ぜひ行ってみてください!
ということで、「みたままつり」について徹底解説します。
境内に入ると、夜空を優しく、そして圧倒的な存在感で照らし出す無数の黄色い提灯(みあかし)が参道を埋め尽くしていました。
そして本日は、お神輿が出ていました。
威勢の良い掛け声が響き渡り、力強くうねるお神輿の周りには、ものすごい熱気と人だかりができています。

何より嬉しく思ったのは、そこに集う参拝客の姿でした。大変多くの方々が足を運んでいましたが、その中でも特に10代や20代とおぼしき若い世代の姿が非常に目立っていたのです。毎年、思うのですが、確実に10代20代の方が増えているように思います。また、お子さん連れの子育て世帯も増えてますね。
お神輿の活気に目を輝かせる若者たち、浴衣姿で提灯を見上げる若者たち。かつて国を護るために若くして命を捧げた英霊たちが祀られるこの場所に、こうして現代の若い世代が自発的に集い、平和に夏の夜を楽しんでいる。
その光景を目にしたとき、胸の奥からこみ上げる嬉しさというか、なんかいい感じです。。
「みたままつり」は、単なる賑やかなサマーフェスティバルではありません。その起源を紐解くと、そこには敗戦直後の深い悲嘆と、日本人のアイデンティティを取り戻そうとした先人たちの強い意志、そして民俗学的な知恵が息づいています。
昭和20年(1945年)8月の終戦は、近代日本における国家と神社の関係を根底から覆すこととなりました。
同年12月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発した「神道指令」により、靖国神社は国家の保護を剥奪され、一宗教法人としての再出発を余儀なくされたのです。
この時期、占領当局による「戦没者等の公葬禁止命令」が下され、地方の忠魂碑や慰霊碑が埋没・破棄されるなど、公的な慰霊の場は徹底的な規制に晒されていました。
地方の護国神社においても、当局の干渉を避けるために「美須々宮」などへと改称を余儀なくされる混乱期でした。
このような精神的・社会的な空白期の中で、愛する家族を戦地で失った遺族たちは、公に哀悼の意を表する手段を奪われ、どんなに辛い思いをしたことか。
国家による慰霊が禁じられた状況下で、遺族自らの手による自発的な慰霊運動 の先駆けとなったのが、昭和21年(1946年)7月14日・15日の2日間にわたり、靖国神社境内の相撲場で開催された「長野県遺族連合会主催による奉納地方民謡・盆踊り大会」でした。この催しは、敗戦の混乱の中で各地に結成されつつあった遺族会組織の熱意によって実現したものです。
この大会は、単なる郷土芸能の披露にとどまらず、戦後日本における大衆的慰霊行事の原型となりました。当日は3万人を超える参加者が境内に押し寄せ、幾重にも重なる踊りの輪を形成しました。
この熱気は、終戦直後の虚脱状態にあった人々に強烈な生きる希望と、遺族同士の連帯感を与えることとなったのです。
さらにこの大会は、占領当局に対しても極めて重要な政治的メッセージとして機能しました。14日にはバーンズ少佐、15日にはネルソン少佐といったGHQの幹部将校が実際に観覧に訪れています。
国家神道的な軍国主義の復活を警戒していたGHQに対し、遺族たちが純粋な民俗的哀悼と平和への希求を盆踊りという形で表現したことは、靖国神社が占領期を生き延び、民間宗教施設として再定義されるための重要な契機となりました。
この大会の模様は録音され、ラジオを通じて全国へ放送され、日本各地の遺族に計り知れない影響を与えたのです。
| 年代 | 靖国神社および遺族組織の動向 | 社会的背景・占領当局の関与 |
|---|---|---|
| 1945年 | 神道指令の成立。国家神道解体、靖国神社の民間宗教法人化への移行期。 | 連合国による占領政策の開始、軍国主義的要素の排除。 |
| 1946年 | 長野県遺族連合会が結成され、7月に初の奉納盆踊り大会を主催。 | 戦没者等の公葬禁止命令の発令。GHQ将校(バーンズ少佐ら)による盆踊り視察。 |
| 1947年 | 坂本定夫禰宜が民俗学的知見を取り入れ、正式に「みたままつり」を創始。 | 日本国憲法の施行。お盆の古俗にちなんだ新しい慰霊の形の模索。 |
昭和21年の盆踊り大会の爆発的な高揚感に深く触発された靖国神社の坂本定夫禰宜(当時)は、この一時的な催しを、永続的な神社の公式祭典として制度化することを思いついたそうです。
「亡き人々のみたま(神霊)を祀る日本の古俗を、お盆の季節である7月に新生靖国に復活してはどうか」という坂本の構想は、国家の保護を失った神社が、日本人の伝統的な民俗信仰に根ざした「人々のための社」として生まれ変わるための生き残り戦略でもありました。
坂本はこの大胆な構想の民俗学的正当性を確かめるべく、当時、日本の先祖供養の歴史的変遷を論じた名著『先祖の話』を著したばかりの民俗学者・柳田國男のもとを訪ねて相談したそうです。
柳田は、非業の死を遂げた戦没者の神霊を慰めることの重大さを深く理解しており、坂本の提案に対して極めて肯定的な評価を示しました。
柳田は、「みたまの慰霊は極めて大事なことで、世の平和のためにも大切だ。祭りは『華やかで風流(ふりゅう)』であるべきだ」との実践的な助言を授けました。ここでいう「風流」とは、単なる虚飾や娯楽を意味するものではないのです。
死者の魂がこの世に戻ってくるお盆という境界の時間において、生者側が美しい灯火や歌舞音曲といった華やかな儀礼空間を用意することで、死者の魂を歓待し、その荒ぶる魂(荒御魂)を穏やかな守護神へと和め変化させるという、日本古来の「魂祭り」の高度な知恵だったのです。
この高名な民俗学者の思想的後押しを得たことで、「みたままつり」の企画は一気に具体化し、翌昭和22年(1947年)7月13日から16日までの4日間、正式に第1回「みたままつり」が斎行されました。
以来、この4日間の会期は一度も変わることなく、今日まで厳粛かつ盛大に受け継がれることとなります。
みたままつりを象徴する最大の視覚的要素は、参道から拝殿前までを埋め尽くす約3万灯の黄色い提灯(みあかし)です。

この提灯の歴史には興味深い変化があり、昭和後期から平成初期にかけての提灯の銘には「二文字の女性の名前」が圧倒的に多く見受けられたそうです。
これは、戦地で若くして逝った息子や夫、兄弟を終生悼み続けた母親や妻、姉妹といった女性たちの深い哀悼の念が投影されたものであり、戦後日本における家庭内での慰霊の営みを無言で湯耐えているように感じました。
また、参道に掲げられる「懸雪洞(かけぼんぼり)」は、柳田國男が説いた「風流」を物理的に体現するものです。

歴史的には、吉田松陰の辞世の句や東郷平八郎元帥の直筆、近代日本画の巨匠・横山大観画伯(揮毫「心神」)らの美的な奉納から、現代の歌舞伎役者、歌手、漫画家などの著名人の揮毫まで多岐にわたったそうです。
社会全体が各々の表現手段を通じて、英霊への感謝と世界の平和を祈る文化的コミュニティの連帯として機能しています。
さらに、参道中央にそびえ立つ社の開基者・大村益次郎銅像の足元で、幾重にも連なる盆踊りの櫓が組まれる重層的な空間構造。そして、近年では「東京ねぶた連合會」の尽力による、夜闇に幻想的な絵巻物を浮かび上がらせる「青森ねぶた」の奉納運行などあったとか。地域や地方との文化的連帯もこの祭りを支える大きな魅力となっています。
現代においては、2010年代の過度な大衆化によるマナー低下から「露店(屋台)の出店中止(2015年〜)」という苦渋の決断を経て、2018年には厳格なルールのもとで秩序ある再開を果たすなど、時代とともに変化を続けてきました。
2020年からのコロナ禍による「静寂の慰霊」を経て、再びこうしてお神輿や盆踊りの活気を取り戻した現代のみたままつりは、都市における「魂祭り」の持続と変容をまざまざと見せてくれています。
黄色い献灯の柔らかな光の中、楽しそうに行き交う多くの若い世代の笑顔、そして熱気溢れるお神輿を眺めながら、ヒロシの心はふと、昭和20年8月15日のあの日へと引き戻される感覚を覚えました。
私たちが今、何不自由なく笑い、この蒸し暑くも美しい日本の夏を満喫できているのはなぜか。
それは、かつてこの国の未来を信じ、尊い命を捧げられた英霊たちの礎があるからです。
そして、その歴史の決定的な転換点となったのが、あの「玉音放送」でした。
以前、私は自身のブログにて、玉音放送の歴史的背景と、そこに込められた真の意味について詳しくまとめました。

平和の尊さを改めて噛み締めるこの季節だからこそ、ぜひ若い世代の方々にもご一読いただき、私たちが歩んできた歴史に想いを馳せるきっかけにしていただければ幸いです。
玉音放送のブログはこちら: https://go2senkyo.com/seijika/186227/posts/1436364
ヒロシは、市ヶ谷駅に向かう中、コンビニで缶ビールを買い、冷たいビールを喉に流し込みながら、靖国の夜空を見上げます。
かつてこの国を護るために戦った人々は、現代のこの賑やかで自由な日本を、嬉しそうに神輿を担ぐ若者たちの姿を見て、どう思ってくれているでしょうか。
きっと、細められた目から温かい涙を流し、「よくぞここまで平和な国にしてくれた。これでいいんだ」と、優しく微笑んでくれているのではないでしょうか。
だから、素晴らしい日本を次の世代に、より良い状態で引き継ぎましょう!
「夏らしく、夏じみたこと」を全力で楽しみつつ、その平和な日常の裏にある大切な歴史を決して忘れない。そんな「風流」な夏を、これからも大切に過ごしていきたいと思います。
コチラが田中ヒロシのブログ一覧です。ご一読ください!
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西武新宿戦沿線、中野区白鷺の田中ヒロシから「靖国神社・みたままつり!若い世代の熱気!夏の夜。歴史が紡ぐ風流な慰霊、昭和天皇玉音放送寄せる想い」でした。
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